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オーディオの遍歴
第01章 黎明編


 


今の趣味を説明するには・・・

2000年にオーディオの趣味について人と話していて何回か起きたシチュエーションがあります。
「すごいオーディオ設備ですねー。いったい何を聞かれるんですか?」
「最近は浜崎あゆみにはまっているんですよー」
「ええっ(絶句)・・・クラシックなのかと思いました」
「あ、クラシックも大好きですよ、サントリーホールは出来た時から会員だし・・・」
「しかし、意外ですねー、浜崎あゆみですかー」
あゆは、いいですよー、現代の日本が達成した音楽のひとつの形態の頂点だと思うんですよね・・・・(と、ずっと話しはじめる 意外と好評な私の長話)

詳しいお話しはオーディオの遍歴12をご覧ください
オーディオは感性が技術を統べる趣味です。そして、私の音楽の好みは、理性が感性の後を追う歴史でした。先に気に入ってしまい、後でなんで気に入ったかを考えて理解していくことの繰り返しだったのです。すでに四半世紀を経たこの趣味の経緯を説明することで、私の今の趣味の背景を明かしたいと思います。また、私の音楽に対する考え方や受け止め方も明らかにしたいと思います。私のシステムを聞いてもらえれば、説明なんて要らないんですけど・・・。

初めのオーディオ機器は、カセットテレコ

現代のように豊かな社会になってしまうと、ちょと違和感のある話題ですが、私は両親が無く、祖母に育てられました。また、金銭的にも豊かな家庭ではありませんでした。ですから、オーディオのようなちょっとはお金がかかる趣味には普通は近づかないのですが、音楽を聴くことは好きでした。中学のときは、特に小難しいものを好んだようで、山口百恵(同い年です)よりもクラシックを聴きたがりました。しかし、ステレオなどはもっておらず、ラジオやラジカセも持っておらず、14インチの白黒テレビでNHKなんかが放送するコンサートをみて楽しんでいたわけです。
そんな私が高校に進学するときに、進学のお祝いにと祖母にねだって購入したのは、数千円で当時売られていたカセットテレコの組み立てキットです脚注1。私は、それを買って組み立てました。組み立てたカセットテレコを使って録音したのは、年末にNHKで放送されたベートーヴェンの交響曲第9番です。それを枕もとで聴いて泣いていた私を見て祖母はあきれていたものでした。

なんの間違いか高校で放送部に入部、オーディオに親しむ

SANSUI AU111
SANSUI AU111 当時としては高性能でした
イコライザアンプ初段はトランジスタを使用
初段を設計し直して取り替えたりしました

高校では、初め文学部とも思いましたが、まだ学生運動の残滓が高校にもあり、思想的に汚染されていました。私は、あまり好みではなく入部した日に退部してしまい、じゃあ、無線部と思いましたが、廃部寸前でしたし、高校にある設備でだれかとおしゃべりしてどうするのかなーと思い、躊躇しました。そこで、電気がらみで遊べるからと、放送部へ行きました。でも、技術的にはオーディオ部だったなんて、知らなかったんです。

とはいえ、高校2年の時は、放送部と無線部の部長をする羽目になりました…(^^;、無線部がなくならないようにと頼まれてしまって…(^^;
高校のクラブとしてはかなりの設備を持っており、当時でも高価なほうであったオーディオ機器が揃っていました。SANSUI AU111とかMicroのベルトドライブプレーヤーとか揃っていました。
今も親友である当時の部長は、自宅にさらに高級なシステムをもっていて、遊びに行って驚いたものです。私は、あまり興味を持ってはいなかったオーディオの世界に入っていくことになったのです。

身分不相応なカセットデッキの購入

中道研究所 Dual Tracer 500
中道研究所 Dual Tracer 500
1年分のバイト代を投じて買ったはじめてのオーディオ製品
SONYやTEACの最高品よりも高価だったのに同社では最も安かった
フォーカスドギャップヘッドの開発で実現したその性能に
各社が追いつくのに何年もかかりました
記念として、今も持っています
中道研究所 Trai Tracer 1000
中道研究所 Tri Tracer 1000
世界初の3ヘッドカセットデッキ、すべてダイレクトドライブ
性能も価格も驚異的でした

高校になればアルバイトで働くことができます。私は高校入学後アルバイトにはげんでその年の冬にやっと7万円を貯めることができました。今みたいにアルバイトの口は多くなかったので時間がかかりました。祖母が豊かなわけではないのですから祖母にと思いましたが、祖母からは自分で稼いだお金は自分の為に使って記念にした方がいいと強く意見されました。ま、私がステレオを欲しがっていたこともあるでしょう。
そこで、ステレオを買えればよかったのですが、当時はシステムコンポでも10万円を切るものが稀であり、今とは隔世の感があります。私は自分でお金を使えると決まったときに、欲しくなったものがありました。その年に五反田のTOCで行なわれたオーディオファアで発表された中道研究所のDT500です。この機械は私の購入した第一号のオーディオ機器であり、今でも記念にとっておいてあります。
この機種は、当時の民生用カセットデッキTri Tracer 1000、700に続いて発表された同社の2ヘッドカセットデッキの第一号です。定価82500円、当時の他社にあるどのような機種よりも高価でしたが、同社では最も安い製品でした。今では忘れられていますが、カセットによる録音がオープン(テープだけで大きなリールになっている奴です)による録音に匹敵するという時代を切り開いたのは、中道研究所です。私は祖母から1万円を足してもらい買える見込みを立てて、御茶ノ水のオーディオUnion(今はありません)で2500円をおまけしてもらい購入しました。この購入にも祖母のアドバイスが背景にありました。

「これが最高だと思うだけど、これだけじゃステレオにならないんだ」

「でも、最高なんでしょ。何年もつかえるものであれば、それを買って後のものは来年以降揃えればいいじゃない。気に入らないものを買って何回も買い換えるよりもいいよ」
この時の話題は、いまだに私の人生の中で生きています。社会に出てから、その感覚のおかげで、仕事もうまくいく、根本的な原因になりました

チューナーを持って帰る日々

さて、カセットだけではどうしようもありません。録音する音楽ソースが必要です。
実はDT500の購入は、高校の先輩にも相談しており、

「カセットデッキはいいんじゃない?学校に持ってくればLPからダビングできるし、重いけどFMチューナーを家に持っていってもいいよ、朝に返してくれれば」
と言われていたのです。
で、当時の学校の先生や友達からは呆れられましたが、私はほぼ毎日、放送部のFMチューナーを家に持って帰り、エアチェックを自宅でして、翌朝に学校に持っていきました。私が体力が無い割に持久力がある背景はそうした昔の生活があるのかもしれません・・・・(^^;
また、放送部のライブラリにあったさまざまなLPをダビングしていろいろと聴いておりました。
余談ですが、放送部ではしゃべるほうのトレーニングもしっかりしました。私が立て板に流すようにしゃべれるようになったのは、高校3年間のトレーニングの残滓です。声が大きくなったのも・・・・。
そのおかげか、中学校の同窓会があった際に、私が誰だかわかる人がほとんどいなくて…中学時代は無口なほうだったからです…(^^;

高級機の意味を知る

開発されたばかりの製品がDT500でした。ですから、不具合がいくつかありました。メカニカル・オートストップを行なう機構が壊れやすかったのです。買って3ヶ月で壊れてしまいました。開けてみると、プランジャー連結棒が折れています。機械強度か素材の粘性の不足です。保障期間内でしたのでお店に持っていき無償修理となりました。
その後、保障期間があと数日で切れるというときにまた同じトラブルになってしまいました。お店経由では保障期間内にメーカに届くか心配になり、今回は、当時、小平市にあった中道研究所まで自分で持っていきました。保障期間が切れて有償修理になると、高校生にはその費用が重たすぎるからです。
当時修理に持ち込んだDT500は、高校生のたっぷりある時間で楽しむだけ楽しんだのですから、ヘッドがかなり消耗していました。現代のように消耗しない/しても高性能なヘッドは当時開発されていなかったのです。
受け付けてくれた技術者は

「ほぼ1年経ちますから、オーバーホールもしておきましょう」
とニコニコして言ってくれました。
当時ではとても珍しい佐川急便が私に届けてくれたDT500は、私を驚かせるものでした。故障箇所以外にも、ヘッドが交換されているのです。今でもそうですが、どのような保証書でも消耗部品は保証対象外です。で、私は開けてみてまた驚きました。電子回路の基板も補修か交換が行なわれていたのです(普通は開けて中を確認なんかしないような気もしますけど・・・)。で、請求書には「無償修理」と明示されているではないですか。
私は、その年のオーディオフェアに中道研究所のブースに行き、質問しました。なぜそうしてもらえたのかと…。説明に立っていた人の回答は

「当社の修理とは、出荷している製品の性能にしてお戻しするということです。ですから、場合によっては青森の工場に戻して調整する場合もあります。お客様の場合は、へッドは当然消耗品ですが、担当者の判断として交換させていただいたものだと思います。当社の修理の方針としては当然のことだと思います」
私は感動してしまいしまた。ああ、モノを造り届けるということはこういうことなのかと・・・。
この話題は私から友人に伝わり、友人のすべてがカセットデッキは中道研究所のものを使用するようになりました。今のナカミチとは違う、高級機専門の時代の話題ですが・・・私はこのとき以来、オーディオの高級機に対して工芸品的なイメージを抱いています。

スピーカーとアンプを作る

NHK技術研究所 2S305
NHK技術研究所 2S305 製造はダイヤトーン

もともとアンプの設計や自作くらいはできたわけですから、スピーカーの自作くらい訳もありません。
が、高価なスピーカーユニットを購入することや箱を作る材料の購入は子供である以上たやすくありませんでした。
初めはパイオニアから発売されていたメカニカル2ウェイのスピーカーユニットのキットを購入して、ダンボール箱でエンクロージャーを作成しました。このようなキット、今では製造されていません。
また、高校の部室には、NHK技術研究所が出していた音響機器の設計資料がありました。往年の銘機ダイヤトーン2S305の設計を例にして(なにしろNHK技術研究所の設計でしたからね・・・)説明していました。このような書籍により、スピーカーの基本的な知識であるfoだのなんのかんのは当時に独学で学びました。で、材料費が捻出できたらエンクロージャーを作るということをしていました。
といっても廃材で作ったりで、音どころではないような・・・(^^;
 

このころ使用していたアンプは、すべて自分で設計したトランジスタアンプとかICアンプです。でも後にOPアンプ(オペアンプ)を使用したアンプを作るようになっていました。

National Semicondacter LF356
当時開発された初のJ-FET差動入力型オペアンプ
ナショナルセミコンダクタLF356
このオペアンプ以降オペアンプは新しい時代になり、
J-FET入力が主流となりました。
当時は写真とは異なるCANパッケージのものが主流でした。
東芝 2SK147
東芝が開発した高GM FET 2SK147
これを使用すると高いゲインのアンプが作れます

今でこそ、OPアンプを使用するのは当たり前ですが、当時ではとても珍しく、ほとんどの人はトランジスタでディスクリート回路を組んでいました。
OPアンプを使用すると、回路技術では、あまり違いが出なくなります。それでも、音を決める(音質を決定する)ための要素は、膨大にありました。
音の決め方が当時の水準としてはわかってきて、受動部品と回路の全体構成のほうが重要と考えるようになっていたからです。また、作りやすさもありました。
今から思い出してみると、現代のアナログOPアンプは、多くが当時に開発されていました。また、現代のプロ用オーディオ機器が使用している部品の多くも、当時とそうは変わりませんでした。
当時に私が作って秀逸だったのは、2SK147という東芝が開発した高GM-FETを1つだけ使用した、電池駆動のヘッドアンプ(MC型カートリッジのためのアンプ/出力が小さいため、通常のイコライザアンプではゲインが足りないため使用します)です。
電源が乾電池ですので、簡単にS/N比が得られて、しかも自己帰還方式であったので、リニアリティが良く、とても単純な回路構成なのですが、安あがりでありながら、結構な音がしました。でも使用したパーツは当時でも高級なパーツでした。ま、それでも1個数百円なので購入できたわけですが・・・。

余談ですが、市販されているアンプなどで使用しているパーツは、1つ数円というものが多く、数百円というパーツは超高級品に使用されるようなものです。
しかし、やがてこの趣味は、私の中で下火になっていきました。
結構、達成したなーという実感があったのと、音楽についてひととおり楽しんで、趣味が固定してきたからです。

給料がもらえるようになったらオーディオ復活

やがて社会に出てから、オーディオの趣味が再燃しました。
強い日常生活でのストレスに対抗するために、心が音楽を渇望したのです。だいたい、社会に出るまで毎日同じ処に行って座っているなんて生活、知らなかったのです・・・(^^;
高校時代は、結構好き勝手やっていて、学校に行っても授業には出ないで、クラブの部室で好きなことをやっていることも多かったので…卒業時に、あと数日足りなければ、留年になっていたよと、担任の先生から教えられて、びっくりしたことがあります。そんな私ですから、会社でずっと一つ所にとどまっているのに、ストレスに感じないわけがありません…(^^;;
私はいいレコードプレーヤーが欲しくなりました。当時は、まだレコードプレーヤーで音が大きく違うことは認識されていない時代で、また、ターンテーブルよりもカートリッジの音の違いのほうが大切に思われていました。
私は、デンオンのダイレクトドライブターンテーブル脚注2か、デザインがいいのでラックスのダイレクトドライブターンテーブル脚注2にしようと思っていました。予算は20万円です。
素直な話しですが、当時の私にとってこの予算は狂気でした。なにしろ税込み年収の1/10を超えるのです。しかし、どうしても欲しいという感性を抑えるべきではないと確信して、購入を考えたのです。

Micro精機 BL-91
Micro精機 BL-91
自分のものを撮影したものではありません…そのうち交換しますね

そこでお店に行ったのですが、当時までの人生で最大の予算で、DT500を超える金額でした。あまりにも高額で、何気なしに購入することができません。で、今はない、お茶の水のオーディオユニオンで無理を言って、ターンテーブルの比較試聴をしたのです。それで驚いたのですが、アーム、カートリッジを同じにしてもターンテーブルで機種によりかなり音が異なっていました。当時にそうした話題は、ほとんどありませんでした。そして、技術的に進んでいるダイレクトドライブ方式よりも、原理的に劣るはずのベルトドライブ方式の方が素晴らしい音でした。
私は、当時登場したばかりのマイクロ精機のBL91とSAEC308SXを購入しました。

今では時代の流れでマイクロ精機は無くなり、
SAECはアームを作れる技術者を失い今ではケーブルメーカーです。
いまではBL-91は使用していませんが、まだとってあります
ターンテーブシートは、やはり今はない、ビクターラボ東京(ビクターが販売店の音の出し方を支援するため秋葉原に作った組織で、日本ビクターの名物技術者の人がいました)の豚皮シート、と12mm厚ガラス製シートの組み合わせです。昔の割には凝った構成ですね・・・。また、アームベースには308SX専用のマスウェイトを追加しています。ま、今の基準ではちょっと聴きにくい水準ですが、当時としてはかなり気に入っていました。
この私の、ターンテーブルで大きく音質が異なるという発見は、当時のオーディオ誌の話題を超えており、友人が皆私の家にきて音の確認をしていました。もちろん、皆がマイクロやSAECを購入することになりました。雑誌がそのような報道をするようになったのは、マイクロBL91が大当たりしたことが確認されてからでした。

友人とのネットワーク

友人とのネットワークは、当時の私の本当の情報源です。本とか雑誌は宣伝文句が多く、当時からあまり信用していませんでした。後日わかったことですが、著者の感性すら怪しい場合すらあるようです。感性がすべての趣味なのですから、体験第一主義であることが大切なのですが、それを知らず知らずのうちに体現していたのでしょう。
そうした反映として、オーディオ機器でとてもいいものを見つけると、お互いに購入する傾向がありました。後日にKRELLを購入するときは、高級機であるにもかかわらず友人2人と組んで3人組になり、4台も購入するという荒業を駆使して、大幅な値引きをお店とメーカーに飲んでもらったこともあります脚注3。友人とは音楽や音の好みについて共有されていくようになりました。
この友人とのネットワークは、いろいろなことを学ぶきっかけにもなりました。

いろいろ書いてみましたが、私が学んだ友人たちとの関係で学んだことのもっとも基本となるものは、オーディオとは体験だけの趣味であり、いい音を体験しないとこの趣味に入ることは難しいということでした。
今でも友人とのネットワークから様々な製品の情報や、キラ星のように現れた素晴らしいアーティストの話しとか、ライブコンサートの日程とか、とても素晴らしいアルバムの情報が飛び込んできます。

自作の限界を知る

当時も私は自分で設計した機器しか使用していませんでした。
でも、ちょっと悩みがありました。ある一線を超えた音を実現するために必要な、高級な部品が入手しにくかったのです。これは、現代ではちょっと解消されましたが、やはり難しい点があります。
そんな中で、秋葉原の中古店を見ていたら、アキュフェーズのC220が出ていました。私は自作派であったため、海外製品の異常な価格に驚き、海外製品を信用していませんでした。そして、アキュフェーズは会社創業時から雑誌の「トランジスタ技術」で知っていました。そして、このアンプのことも・・・当時のトランジスタ技術(もう捨ててしまいした)には「イコライザアンプ専用機の限界を極めた」と読めるように菅野沖彦氏が誉めていました。昔は、同誌で設計者とのインタビューでこのような紹介が行なわれていましたので、より説得力があります。私はその回路技術の発想に驚嘆したものです。富士通が当時開発したRET/Ring Emitter Transistor脚注4を使用し、高額なパーツをふんだんに使用していました。
メーカー製を買うなら、こうした製品だよなー、と私は思いました。当時の私は、独自の設計概念があり、プリアンプを嫌っていました。イコライザ専用アンプであれば、そうした設計思想にも抵触しません。中古ですが12万円もしました。しかし、私は買っていました・・・もう生産されていない機種だったのですから、その時に買わなければ入手できるとは思えませんでした。
この音は・・・素晴らしいものでした。驚いてしまいました。
時間をかけるだけかけて作った、自分で設計したアンプでも、いつかは同じ水準にすることができるかもしれません。しかし実際のところ、自作したアンプはいつもパーツや回路定数の変更を繰り返すものであり、1台の音をバランスとるまで6ヶ月をかけていました。そのような状態では、本音のところどのような音を出していいのか判らず、満足感はあっても音楽を楽しむという観点では苦渋に満ちてもいました。なにしろ音楽ソースによっては歪んで聞こえる場合すらあったのです。どこの世の中に本当に歪んでしまった音の音楽を世に送り出す人がいるでしょうか。CDやレコードとは完成した音楽そのものなのにです。

McIntosh XR-16
McIntosh XR-16

私は、仕事も忙しく、時間をとることも難しくなっていましたので、ステレオのシステムをメーカ製品に時間をかけて切り替えることにしました。
初めに購入したのは、スピーカーでマッキントッシュXR16です。
このスピーカーのドライブは、当時の非力な自作アンプでは困難だったので、アキュフェーズのP240というパワーアンプを購入することになっていきました。
私はこの構成で、本当に楽しくいろいろな音楽を聞きました。といっても当時はクラシックを中心に、ときどきジャズを楽しんでいました
私を育ててくれた祖母も、もう亡くなっており、自分のお金を自分の為にお金を使うことができるようになったころです。

人生で初めて自分の為に自分の時間とお金を気兼ねなく使えるようになったという感じの次期ですね。

輸入製品への不信感が生まれる

XR16を購入したのは、ヤマギワ本店で、定価は40万円もするものでしたが60%offで購入できました。ヤマギワがマッキントッシュの総代理店資格を失う際で、特価放出でした。保障期間は2年間、でも、この保証書は紙くずになりました。その理由は、新たに設立されたマッキントッシュジャパンにはXR16を修理する能力が無かったのです。というよりも、今はもはや無い同社の日本法人の説明では、補修部品をマッキントッシュ本社が用意していなかったようです。この事実は以下のような経緯でわかりました。
気に入って使っていたXR16ですが、実はちょっとした問題がありました。スピーカー端子が壊れやすかったのです。そうこうしているうちに、慶応大学の大編成ブラスバンドの録音をする際に、モニター用に持ち込んだのですが、大変広い部屋で再生に使用したため、大出力で鳴らした際にツゥイーターを片チャンネル痛めてしまいました。そのため大出力で鳴らすとビビルようになりました。
私は修理を依頼したのですが、補修部品が無いために修理できないとのことでした。アメリカにオーダーするので、届いたら連絡をするが、6ヶ月ほどかかると思うとのことでした。実際は、その連絡はなく、やがてマッキントッシュジャパンはなくなってしまいました。私は、輸入製品に対しての不信感を抱きました。

音楽から映像へ

クラシックやジャズは、音楽の趣味が定まってしまうと聴くものが限定される傾向があります。私の場合は、この曲はこの指揮者のこの演奏と、定番が決まってきました。そして、聴いたことの無い曲はメジャーなものでは少なくなり、ラッススなどルネッサンス期の音楽の美しさに心を打たれたりしていました。
しかし、人とは慣れやすいもの、毎日同じタイプの音楽だけでは、ちょっと浮気したくなります。しかし、もともと歌謡曲やポピュラーは嫌いというか馬鹿にしていたというか、聴く気になりませんでした。

風の谷のナウシカ
当時に購入した
風の谷のナウシカのパンフレット

そんな私は、劇場で「風の谷のナウシカ」を見てから本格的にアニメファン脚注5になりました。私は、劇場に13回も通いましたし、私が勤めていた会社にはポスターを張り出し、「風の谷のナウシカツアー」と名づけて、みんなで見てから会食をするという企画すら実行していました。八重洲の事務所の時代でしたし、結構規律の厳しい会社でしたので、今思うとちょっと人からそそのかされた点もあったかも知れませんが、行動力のあったものです。私が13回も通った理由は簡単で、自宅で劇場と同じクオリティで楽しめないと思っており、一期一会として、心に深く刻みたかったのです。
そんな頃は、レーザーディスクが開発されたこでもあり、同時にVHSハイファイも開発されましたころでもあります。
徳間書店から「風の谷のナウシカ」が映像製品化される際に、レーザーディスクと通常のVHSとして発売されることがわかりました。私は、VHSハイファイで発売されていたら、そちらを購入したと思いますが、通常のVHSでは触手が動かずに、音質を考えて、躊躇せずにパイオニアのLDプレーヤーを購入しました。これが私のレーザーディスクのライブラリの始まりで、当時でもすぐに50枚ほどを買っていました。今でもDVDが発売されていないもの200枚ほどを持っています。たくさんある映像作品は、工場で生産しているとはいえ、ワンショット生産が多く、だいたいの場合一期一会、場所をとって困るLDですが、きっとまだまだずっと持っていることでしょう。
私の趣味は仕事にも影響し、私が勤めていた会社ではコンピュータソフトの利用者用マニュアルを10年間に渡りLDによる映像化マニュアル化しました。そんな関係で、プロデューサの仕事とかを目の当たりにして、違う世界があることを知っていったころでもあります。
しかし、映像の世界の音はオーディオとしてはお話しにならないものでしたのでした。デジタル化が進むまでは・・・。この時代、まだCDは表舞台には登場していません。私の映像関係の作品を楽しむ趣味は今も続いています。そして、この時代、オーディオのシステムは長い間にわったてビジュアルの再生設備となっていきました。