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音楽には、その価値にふさわしい音がある

2004/07/31

01 傷を舐めあう道化芝居は、もう終わりと思うから・・・

もう、何年になるでしょうか・・・音楽に関係した人たちで、いわれている言葉がありました。

「40代より若いミュージシャンは、いろいろな音楽を聴いているが、音がわからない・・・」

かるばどすほふには、オーディオの関係のコンテンツなどで、「音楽が好きでもない技術者がオーディオ製品を作る」という異常さについて、批判的に述べているものがあります。また、PA技術者の能力があまりにも低く、「音楽の価値を落としてしまう」コンサートがあることを、批判しているものもあります。

■参考
ここでご説明している話題に直接関係しているコンテンツをご紹介します
質の話題
オーディオの遍歴 03 ハイエンド 心から心へオーディオの遍歴 17 ゲシュタルト崩壊の新デジタル・フォーマットオーディオの遍歴 18 きっと、いつか、質の時代へ
コンサートの話題
オーディオの遍歴 16 音楽よ、届け!徒然酒 2004/07/24 倉木麻衣のコンサートに誘われて・・・

ただ、意図的に、音楽関係者に対して、そうした論評をしないようにしていました。その理由は簡単です。音楽関係者の多くが、どのように苦しみながら音楽を生み出しているか、ある程度は知っているからです。多くの場合、経済的にも大変な中で活動しています。音の話題は、必然的に、経済的な努力が避けられない点があります。ですから、音の問題という、彼らが日常努力している世界から先にある、次の次元の話題であり、多くの音楽家の手には届かないと言っても過言ではないことなので、この話題は酷だと思っていました(でもクラシックをしている人なら、どればどの努力で楽器の音を実現しているのかは、よくご存知ですよね)。ですから、音については、音のプロが努力すべきという見方も出来ますし、現実の音楽制作システムは、かつてはそうして配慮されていました。ただ、後で述べますが、現代は制作システムがインスタントになった結果、ミュージシャンが音そのものに配慮する必要性が高くなっています。
それに、ネットワークでは、コンテンツを斜め読みにして、混乱してしまう人も少なくないので、それも気になっていました。特に、音楽の世界を夢見ている人たち、音楽を仕事にしている人たちって、文章が苦手みたいで、時々、誤解してしまう人が少なくないようです。
例えば、音楽の本質は、音ではない・・・という話題を説明しているコンテンツの一部を読んだプロのスタジオエンジニアの人が、コンテンツの一部を読んで、なにをどう勘違いしたのか「音楽は音じゃないかもね」と書いていたり(それが本論のコンテンツなのに・・・(^^;)、そのコンテンツを読んだミュージシャンの人が、それをなるほどと思ったり・・・それを見たときに、まあ、もともと長文だし、読むのが苦手はお仕事柄なんだろうけど、困るなーと思っていました。

■参考
ここでご説明している話題に直接関係しているコンテンツをご紹介します
質の話題
オーディオの遍歴15 感動させる音などない・・・でも、意味を明らかにする音はある・・・

浜崎あゆみ INSPIRE

ですから、音楽関係者が持つ、音についての姿勢について、あまり話題にしないように気をつけていました。
でも、そうも言っていられないと思うことが起きてしまいました。
浜崎あゆみのシングル・アルバム「INSPIRE」の音作りに驚いてしまったからです。
浜崎あゆみのアルバムは、デジタルのものはすべて持っています。これまでも、問題点がないわけではなく、意味のないHDCDが採用されていたとか (これは広汎な問題で、中島みゆきなど有名どころでも多くのアルバムが今もHDCDで発売されています。でも、再生できる設備は、日本には少ないんです・・・運用ミスのためCCCDの比ではない音の劣化事例が少なからずあります)、マスタリングがまずかったとか、いろいろとありました。
しかし、これまでのリミックスを含めて、もともとの音作りに問題点を感じたことは、再生しにくい、くらいのことでした。
しかし、「INSPIRE」は、音作りそのものに、問題をはらんでいるのでした。
私は、勝手に、このミックスを、「Cell phone mix / 携帯電話ミックス」と呼んでいます。
率直なところ、浜崎あゆみは現代日本のJPOPSでは頂点にあるわけですし、ライブの質も日本では頂点にあるといえるでしょう。そんな浜崎あゆみなので、かるばどすほふのコンテンツでは、今後は日本という前提なしに説明しようかと思っていた矢先に、このアルバムが出てしまいました。以前の方針であれば、「困ったもんだ」と書いて終わりにしてもよかったのですが、浜崎あゆみが行く先を考えると、そうした「傷を舐めあう道化芝居」という書き方は良くないと思います。
浜崎あゆみは、もはや、世界の水準で述べるしかないからです。
でも、それは特別なことでは、本当は、ありません。
国際化が進んだ今、それは、私たち音楽の受け手は、世界のアルバムを楽しんでおり、日常の事です。つまり、浜崎あゆみは、やっと、私たちの日常世界にドアを開けて入ってきてくれたのです。
ですから、かるばどすほふのコンテンツで、これまでとは違う、より広大な光景を示すことも大切だと思います。
ただ、これから書くことは、人によっては「痛い」話題だと思います。
冒頭に書いた話題も、一般にはあまり知られていませんよね・・・
でも、道化芝居は、浜崎あゆみの前では、もう終わりです。

02 支持されているアルバムに、音の問題をはらむものはない

音楽と、音の関係は、とても密接です。
人間にとって、意味を伝える手段は、実は、2つしかありません。
ひとつは、光・・・目を通して理解します。そんな光を通して、人の思うこと、感じること、つまり、意味を伝えられるようになったのは、文字を発明してから・・・実は2000年程度の歴史しかありません。人間の目が認識できる波長は、赤外線よりも短く、紫外線よりも長い範囲、1オクターブの違いしかありません。
もうひとつは、音・・・耳を通して理解します。そんな音を通して、人の思うこと、感じること、つまり、意味を伝えられるようになったのは、人類が言葉を持つ前からではないかと考えられています。そして、人の耳が認識できる周波数は、20-20000Hz(ヘルツ)、10オクターブの幅を持ちます。人間の耳にある音を認識する細胞は、大き目の原子1つの大きさの幅の振動があるだけで、それを検知することが知られています。人類が開発しているどのようなセンサーよりも敏感です。
そして、人は、生まれてから、様々な知識と感覚を、音を通じて学びます。
音は、人が様々な意味を理解するための、第一の経路であり、それは生涯変わりません。
だから、音楽は、強く、深く、人に伝わるのです。
そして、音は、それ自体が強い意味を持つものとなっています。
ですから、良く作られた音により構成された音楽は、より強く、より深く、人に、音楽の「意味」を伝える力を持ちます。
音楽アルバムは、販売数や、販売期間など、数値的に測定できる指標により評価されることが多いと思います。音楽そのものの価値からすると、なんの意味のない指標でもあります。ですから、いかに「音がよい」アルバムを出しても、売れるとは限りません。
しかし、経験的に相関を感じる点もあります。私の知る限りでは、評価が高いアルバムで「音が悪い」アルバムというのは、お目にかかったことがないということです。まあ、ちゃんと再生できない人が、文句を言うアルバムは少なくないですが、それは受けての問題であり、送り手の問題とは言いにくい場合が多いでしょう。
しかし、生音を別にすると、音という観点で見ると、技術的な問題は、いろいろとあります。
媒体により、能力差があるからです。ですから、すべての媒体で同じに聴こえる共通の音作りというのは不可能です。
こうした背景から、音楽をアルバムに収録する際に、音の組みなおしをする場合があります。つまり、リミックスです。
このリミックスは、目的に応じて「radio Mix」とか、「Club Mix」などと呼ばれ、そうした環境で最もよく聴こえるように配慮します。そして、いちばんメインに据える媒体に「Original Mix」を用意します。これは、曲にそれを明示していなくても、ちゃんとしたアーティストなら、提供する際に行っていることでしょう。
また、音の専門家であれば、それぞれの媒体に応じて、いい点があるような音作りをすることもできます。そのような専門家は、どのように再生されるかを熟知している人ですが、最近は少なくなってきているといわれています。
いずれにしても、見方を変えると、現代の音楽制作において、音楽と、音とは、バラバラになってしまっています。

03 どのように「INSPIRE」は人に聴こえるのか・・・

初めて「「INSPIRE」」を自宅で聞いたときに、その音の薄さ/チープさに凍り付いてしまいました。「音が薄い」とは、楽音や声の音色傾向に偏りがあり、いろいろな音が同じように聞こえることをいいます。また、「音が厚い」という場合は、音が多様で、豊かに響く音を言います。
私のシステムは、可能な限りの音を再生するように配慮してあり、めったなことでは音が薄く聴こえることがないように調整されているため、ひどく驚いてしまいました。それは、言い換えると、再生に足るだけの音がアルバムに「記録」されていないということであるからです。
で、私は、通常の、なんの配慮がないシステム、飲み屋さんのカラオケなんかではどうなるのだろうかと思い、新宿のガゼルに仕事が終わってからアルバムを持って行きました
はじめはDVDをかけました。
■証言1
新宿のお店での話題です。

「ね、どう、あゆの新しいアルバム」
「素敵ー、かっこいいね」
「音はどう?」
「うん、きれいに聴こえるよ」
「そっかー」
「え、かるばどすちゃんは違うの?」
「うん・・・他のアルバムと聞き比べるとわかると思うよ・・・ここにボクのモバイルがあるから、聴いてみる?、10枚くらいのアルバム入れてあるし」
「うん・・・・あ・・・」
「わかるでしょ」
「え・・・本当だ、凄くよくわかる・・・あゆのアルバムの中でも、音がつまんない」
「でしょ・・・」

このときのBeoSound2に入っていたのは、「INSPIRE」に続いてスチームボーイのサントラが入っていました。その音と比べて、この子は「音が貧弱」といい、さにら他の浜崎あゆみのアルバムとくらべて、その言葉を繰り返していました。

「じゃさ、お店のカラオケでCDかけてみようよ」
「うん・・・あ、こっちの方が好きかも」
「でしょ、このDVD、音がアルバムよりダメなのよ」
「なんで」
「さーねー・・・(^^?」

音というものは、どんな人でも違いを聴き別けるものです。
慣れている人は、単体で聴いても聴き別けるだけで、比較して聴くと、だれでも違いを識別します。
■証言2
新宿のお店のママは遅めにお店に入りました。
ママも、最近のあゆはお気に入りです。以前の曲は、好きになれなかったそうです。
音楽好きも、堂に入っていて、コンサートのためにお店をお休みにしちゃうことも度々です。ロックフェスなんかは、水着で飛び回っているそうです。

「ね、このCD、あゆの明日発売のやつなんだ、どう?」
「いいねー、カッコイイ!!」
「音は?」
「なんかねー、懐かしい音・・・昔の音楽みたい」
「やっぱり祥子ちゃんにはわかっちゃうんだねー」

音を表現する言葉は、語彙が少ないので、解釈して理解する必要があります。
私が、「音が薄い」という表現をする音は、昔のアルバムにはよくあるような音でした。つまり、技術が今ほど進んでいない時代に、豊かな音作りが困難であった時代があったからです。言葉は違いますが、意味しているところはそう離れていません。つまり、「音が薄い」もしくは「音が貧しい」のです。
かるばどすほふのでも、「声が聴きづらい」などの話題が出ていました。これも、言葉は違いますが、同じことを感じてることを示しています。
何のことはない、だれでも、聴いたら、「音が薄い」のです。

04 人の感性にはバラバラではない部分がある

どのように「INSPIRE」が聴こえるのかについて、例を挙げてご説明したのには、理由があります。
とても多くの人が、感性という主観的なものは、バラバラでみんな違うものであると誤解しているからです。いろいろなミュージシャンや、オーディオ機器の設計者と話していて、ほとんどの人が「好き嫌いはバラバラだから」といいます。その言葉そのものは、正しいのですが、問題は、そうした人たちが、主観的と客観的という言葉しか知らないで発言しているという、とても幼稚な側面があり、言葉通りには理解することが出来ない点があります。こうした人たちは感性の様々な側面について区別が出来ておらず、混乱しているため、主観であっても、多くの人が同様に感じることものが存在していることを、全く理解していないか、無視しています。
実際には、感じるものや認識は、主観、間主観、客観、間客観という4種類に分類して考える必要があります。

詳しい説明はこちら

私たちの個性が持つ主観的なものは、私たちが育ち成長する中で、間主観の中で育成されていきます。ですから、個が先に成立するものではありません。
私たちは、社会の中の共通的な感覚、世界観という基盤の上に、自身を成立させており、だから、共通に感じるものを多く持っています。
音に対する感覚も同じです。間主観で、共通的なものの上に、音楽の音作りは成立しています。
ですから、人は、好き嫌いに関係なく、音に対して同じようなイメージを持つのです。
人の感性とは、そうした共通の基盤/感性と、自身が育んだ独自の感性という、2つの側面から成り立っています。
この共通の感性の部分が、音楽の基盤であり、音作りの基盤です。
このように、人には、バラバラではない部分があり、その、人に共通の基盤から見たときに、「INSPIRE」は「音が薄い」/「音が貧しい」のです。

中島みゆき 時代
PONY CANYON PCCA-00482
デビュー後2番目の曲で、多くのバージョンが作られています。このアルバムは、今はヤマハ・ミュージックから出ています

時々、音作りそのものが問題になる場合が、アルバムにはあります。
昔、中島みゆきの「時代」が収録されたアルバムについて、「音が歪んでする」という声が上がり、プロデューサーが「古い感覚を音にしたかった」と釈明したことがあります。
音が歪むことと、古い時代の音に何の関係も無いのですが、そうした意図が、音響エンジニアやプロデューサーの能力の限界を超えていたのでしょう。致し方ないことです。
でも、このように、音は意図通り制御できない場合もありますし、逆に、表現の一環として、意図的にそうしている場合もあります。
では、なぜ「INSPIRE」は音が貧しいのか、それは制作者の能力のためなのか、はたまた、感性が崩れているためなのか・・・それとも、音そのものにも意図が明確に込められているのか・・・それを考察してみましょう。
その前に、ちょっとだけアルバムと音の関係の知識のインプットをさせていただきます。

05 音楽をアルバムにするときの音を決める人はだれか

アルバム作りをする際に、だれがその音を決めているのか・・・そのことの説明が必要だと思います。
この答えは、現代では、とても難しく・・・きわめて不明確です。
昔は、アコースティック楽器を録音するだけですので、録音エンジニアとミキサーが音のほとんどを決めて、それをレコードのカッティングエンジニアが忠実に再現できるように努力していました。ですから、音楽家は、アルバムの音作りに無関係でした。
この時代は、音楽家でアルバムの音の質を気に留める人は皆無でした。それでも、アルバムの質を大切にした人はいます。そうした場合には、録音エンジニアを指名していました。
そうした人で、忘れられないのは、宮沢明子と菅野沖彦の関係です。

若き日の宮沢明子
今では、アルバム数が100を超えます
菅野沖彦 1998年に撮影録音したアルバムは今も販売されています

今では、それぞれ、音楽界の重鎮と、オーディオ界の重鎮ですが、今から30年ほど前は、どちらも新進気鋭でした。当時の宮沢明子は、アルバムをちょっと出してはレコード会社を変えてしまうことで有名だったのですが、菅野沖彦のオーディオ・ラボでアルバムを作ってからは、ずっとオーディオ・ラボでアルバムを作っていました。宮沢明子は、納得できるアルバムを作れる人を探していたのです。菅野沖彦はジャズのアルバムが多く、クラシックは宮沢明子が中心でした。菅野沖彦も、納得できるアーティストのものしかアルバムを作る気はなかったのでした。オーディオ・ラボは菅野沖彦が好きでやっていた会社で、やがて閉じてしまい、また宮沢明子はさまざまなアルバムを各社から出すようになるのですが、菅野沖彦との親交は続いていると思います。だって、宮沢明子のコンサートに行くと、ちゃんといい席に菅野沖彦がいて、舞台に握手に行ったりしますから・・・。
宮沢明子の繊細で大胆な演奏は、菅野沖彦の録音により残され、今も素晴らしいアルバムとして、再発売が続けられています。

当時の宮沢明子と菅野沖彦の収録風景
余談ですが、現代の収録ではピアノにマイクを突っ込む録音エンジニアが多いそうです(アルバムを多く出しているピアニストが言っていました)。ピアノの音がどのように楽器から作られるかを、今はもう、理解していないからですね。音楽も、楽器もわからない録音エンジニアも、今はいます。音がわからない音楽家と好対照を成しているわけですね。

当時の宮沢明子は。音に厳しい人でした。日本に2台しかなかったboesendorfer Imperial/ベーゼンドルファー・インペリアル (世界最大級のグランドピアノで雄大な低音とppppまで演奏できる繊細さで有名、ベーゼンドルファーは創立以来180年弱でピアノを4万台しか製造していません) のオーナーであり、自宅ではステレオにjblのスタジオモニターを使用しているという、音に妥協が無い、当時としては信じがたい、時代を超えた音楽家でした。その感性は、菅野沖彦を選ぶことで、アルバムのもつ「芸術性」という問題を解決したのでした。

余談ですが、宮沢明子の当時の演奏スタイルは正確さよりも音楽性を重視するもので、そうした点では、今の浜崎あゆみに通じるものを感じますね。菅野沖彦は演奏ミスを修正することはしませんでした。それは、アコースティック録音の基本でもあります。でも、今では考えられないことでもあります。

やがて、技術は進歩し、スタジオで大規模な録音はされなくなり、電子楽器の技術が進み、録音そのものが少なくなっていきました。つまり、音作りは、録音エンジニアから、音楽制作現場に移行していきました。
しかし、ここで問題が生じました。
音楽家は、再生される音のことには、無知であったのです。
もともと、自身では「楽器の音色」くらいはわかっても、機械を通じて再生される音には、無知すぎました。だいたい、自身で、ちゃんとしたステレオを持っているわけでもないくらいです。
ところで、現代の音楽家って、具体的にはなんでしょうか・・・。
浜崎あゆみを例にすると、アルバムの観点から見ると、作詞、作曲、編曲、ミックス、この4つの要素で、音楽家全体(音楽家ゲシュタルト)を構成しています。で、アコースティックでない限り、演奏家と録音というのは、最低限、本人のボーカル位しかありません。つまり、音の専門家は、もはや、アルバム制作で位置を占めていないのです。JPOPSでは、音のノウハウとともに、彼らは、音楽アルバムから位置を失っています。でも、音楽家は別に、音の専門家にはなってはいません。音は、忘れられかけています。

簡単に言うと、音楽家は音という観点からすると、ゲシュタルト崩壊/統一性が失われています。現代では、専門性が強くなり、元来不可分のものを分割して作り上げることが多く、いろいろな場面で、ゲシュタルト崩壊をかいま見ることになります。

また、こうした背景から、浜崎あゆみという、制作に厳しい人物であっても、アルバムの音作りにはほとんど関与できないということがわかると思います。せいぜい、できたアルバムを、自身のMDなどで聞く程度・・・かも知れません。なぜならば、何日もかかるミックスに立会い、スタジオ・モニターで聞いたところで、音について、やはり、なにも理解できないからです。再生のついての経験があり、初めて意味があるのが、スタジオ・モニターによる音であるためです。

今では、ミックス時にスタジオモニターすら使用していない可能性もあります
ちゃんと作られたスタジオで作業しない場合も多くなってきているからです
自分でデジタル・コンソールを持つ人で、しっかりしたモニターを使用している人って、多いんでしょうか?
言い方を変えると、味見をしないで作る料理人みたいなもので、安定しないでしょうね、出来上がりが・・・

言い換えると、現代では、作られているアルバムの音の責任はだれにあるのかが…よくわかりません。昔であれば、録音エンジニアがマスタリングまでチェックする場合も少なくなかったのですが・・・。先に例にした中島みゆきの「時代」の場合も、プロデューサーしか音を歪ませた意図を説明できなかったのには、そうした背景があるのかも知れません。
ですから、これから説明する話で、いろいろな話題が出ますが、それは、不特定な対象に述べるものであり、ひょっとすると、そのことが、本当の問題であるのかもしれないと、感じもします。

a&r/音楽ディレクターをなぜ話題にしないか
A&R/Artist&Realityとは、制作スタッフのことで、現代の企業における音楽ディレクターのことです。一般的には、アーティストの発掘、アルバム制作、コンサート実現などの業務を行います。
ですから、普通ですとそうした人たちが問題・・・と書くべきです。で、はじめはそう書こうかと私も考えたのですが・・・今回のアルバムは、A&R+Directorは、同じ人物なんですよ・・・今までと・・・(^^;
で、考えました・・・A&Rは機能しているのか・・・音の分野で・・・そして、結論を出しました。全く機能していないと・・・。今までも、意味もなくHDCDにしたり、マスタリングが下手だったたり・・・機能していれば、そんなことはないはずです。
まあ、大変なお仕事ですから、強く批判するとかわいそうですが、制作庶務として機能しているに過ぎないと推察しています。つまり、制作雑務です。なんちゃってA&Rとまで書く気はないですけど・・・(^^;
いずれにしても、機能していない/できない、そうした人たちを話題にしたってしょうがない・・・と思うので、話題の遡上に上らせないことにしました。
言い換えると、「本物のA&R」、「本物の音楽ディレクター」がいればいい・・・という見方もありますが、あゆをはじめ実績で燦然と輝く人たちを前に「お前、この音は違うだろ!」と言い切れる人は、少ないでしょうねー・・・(^^)

06 この音の「意味」はなにか

INSPIRE」の音が貧しい原因を分析してみましょう。
別段、犯人探しをしようというものでもありません。
意図的にやっているのか、そうでないのか、ということが、当面の話題です。
この分析には、wilberの4象限モデルを使用して、漏れが少ないようにしてみようと思います。
これは勝手に、音を聴いただけで分析しているだけで、実際のところは、すべて外れているかもしれませんし、複合的に当たっているのかもしれません。でも、いずれの結果でも、結論は、そう変わらないのです・・・。

主観
客観
制作者の主観でこの音を選んだ
制作者は意図せずこの音になった
携帯電話を意識していた
設備が壊れていた
間主観
間客観
リミックスを作らない方針のため選択した
制作者は意図せずこの音になった
音決めを組織で行った
組織のため音決めが出来なかった
● 意識的に行った場合 ● 意識的ではなかった場合

制作者の意図でこの音を選んだ場合

今の浜崎あゆみは、この時代を超えている

この場合は、さらに3つの場合があります。
ふたつは、この音を選択した感覚が、私たちと同じで、「音の薄さ」に、自分なりの意味を持たせている場合です。
もうひとつは、この音についの感覚が私たちと異なり、「音が薄い」と思っていない場合です。
「音が薄い」ということに意味を持たせている場合、歌の内容を否定するために行っているという見方が出来ます。浜崎あゆみは、初期のアルバムにおいて、歌いきった曲の中で、それを否定するナレーションを入れて意味性を示している事例が過去のリミックスにあるので、この可能性は、そうした事例からだけ考える場合は、否定できません。つまり、「扉なら開けばいい」という強い歌を否定しようとしたという見方です。
しかし、この観点には、浜崎あゆみの精神史を考えると、現段階ではあり得ないでしょう。ケンタウロスの先に至った魂からは、そうした貧しい発想は、もはや、出てこないからです。
否定という意味で唯一あるとすると、音決めに関係しただれかが、そうした浜崎あゆみの強さに嫉妬して、意図的にこのような音作りにしたという可能性でしょう。これは、有り得ないことはないかもしれません。

私は、音楽関係者の気持ちのあり方について、時々危ういものを感じていますので、余計そう思うのかもしれません。話をしていて、なにを考えているんだろうとか、なにを世の中斜めに見ているんだと、考え込んでしまうことがあります。まあ、大変な人が多いのはわかるので、普段は理解しているのですけど・・・

もうひとつ可能性があります。それは、否定という意味ではありません。単に、音作りを間違えて、意図的にこうした可能性です。
現在の浜崎あゆみの曲は、すべてがライブ演奏を前提としてます、そのため、アルバムでもライブのイメージを求めているかもしれません。このときに、経験が足りない音作りが行われると、反響音のつもりで位相差音を多重に合成する、ヘボがいます。そうすると、音はだめになってしまいます。音の合成は、聴く人のところで、再生されてから行わなければならないのですが、それのさじ加減が難しいんですよね。
ひょっとすると、この音を決めた人は、「音が薄い」とは思っていないかもしれません。
元来、これほど強い歌なのですから、音は厚く、豊かに作られることが自然です。
ですから、制作者が「音が薄い」と思っていて選択したのでないなら・・・感覚が、私たちと外れすぎています。
ただ、専門分野を突き進むと、視野狭窄になることは避けられないため、そうしたトラブルをはらむ場合があります。音楽を演奏するようになると実感しますが、そうした人は知らず知らずに演奏の正確性に注意が行き、音楽性を見失っていきます。同じように、音楽を専門にしている人が、音楽そのものを見失ってしまう・・・ということは、良くあることです。このようなトラブルは、音楽に限らず、どこにでもあります。もしもそうであるとしたら・・・制作現場から離れて、自身を見つめなおす場を作らないといけないですねー。

制作者は意図せずこの音を選んだ場合

この場合は、間主観でも同じです。
冒頭でご説明した、業界で前から言われている話題である

「40代より若いミュージシャンは、いろいろな音楽を聴いているが、音がわからない・・・」

に通じます。
この世代の理由は、明確です。
それは、CDの登場後の世代であるということです。
これは、アコースティックの音を知らない世代という意味と、ほぼ同じです。
CDの普及が、音楽産業をひとつの産業にしていきましたが、その中で、音楽再生の深さは失われていきました。これは、特に日本で顕著であり、海外では、音楽再生が両極化しただけで、音楽再生の深さは失われませんでした(ですから、欧米のミュージシャンは、なかなか立派な設備で音楽を楽しんでいる場合が多いようです)。日本では、低価格製品を中心に出した結果、音について練られていない製品を数多く出してしまいました。
そうした音を聴きながら育ったとき、その音がその人のリファレンスとなります。
言い換えると、ファーストフードの味しか知らないのと、そう変わりません。

Hayley Westerna
my gift to you
NEW ZEALAND UNIVERSAL L0167302
ストリートで歌っていた彼女が、そうして稼いだお金と友人の協力で作ったプライベート盤などかきっかけとなり、ニュージーランドUNIVERSALと契約して国内デビュー。これはそうして作ったアルバムの2作目、この時14歳。今は、国際デビューを果たし、英DECCAで作成した素晴らしいアルバム「Pure」で、全世界から注目されてます。ただいま17歳。
彼女は、日本の音楽環境では、誕生し得ないでしょう。

これが欧米であると、音楽環境がかなり異なります。
たとえば、テクノの本場であるドイツに行くと、休日なんかは音楽学生が街頭でバイオリンを弾いていたりして、日常からライブ音楽があふれています。そして、音のリファレンスとして耳に焼き付いていきます。ですから、CDなどの音は、そうした音を連想させるキーであり、CDの音を自身の音の基準にすることはありません。アメリカでも、ジャズやロックは、ライブが中心であり、そこから耳のリファレンスが作られていきます。
言い換えると、音楽環境から、知らず知らずのうちにスローフードとファーストフードの味を知っているのです。
この環境と育ちの差は、音楽の世界を志すほど、大きくなります。
なぜなら、音の基準を持たない「根無し草」になってしまった感性は、音の意味を正しく理解できなくなってしまうからです。
この世代は、すべての分野に散らばっているため、録音エンジニア、paエンジニアでも変わりません。
この前、NHKの番組を見ていて、若いpaエンジニアの仕事の紹介がありました。
その中で、博品館劇場で行われるコンサートの準備のシーンがありました。
見ていて驚いたのですが、ハウリング対策を行うために、旧式のイコライザでハウリングする周波数の特性を下げる作業をしているときに、気楽に145Hzなどを減らすように操作していました。これは、PAとしては正しいのですが、音楽としてはとてもまずいことです。なぜならば、人間が一番強く認識できる周波数帯は、人の声の帯域である80-5000Hzです。ここは、人がもっとも敏感な帯域であり、しかも145Hzは男性の声の中心周波数です。ここのレベルを操作すると、声は完全に変質してしまいます。音楽の場合は、スピーカーの位置や方向を変え対策してみて、最後の最後に、やむを得ずやらなければならない作業を、設置直後としか思えない状態で、いきなりしていました。
PAは、もともと、pablic Adressの略で、音を大きくすればいいという技術の総称です。ですから、PAとしては正しいのですが、音楽としては正しくないのでした。本人達は、教科書どおり、学んだとおりにやっているのでしょうが、聴かされる方はたまったものではありません。
音がわかる世代であれば、聴けばわかるのですが、どうも、若い世代の人は、なにも考えないでやっているようでした。

本音の話ですが、見ていて、測定器ぐらい使えよと思いました
設備も古臭いし・・・私が家庭で使用しているものはフルデジタルで2Hz刻みでイコライジングできます、まあ、ライブでは使えないですけど・・・。
あのような古いタイプのイコライザでは位相特性もちゃくちゃ・・・声なんて変質するだけです
なにも改善する意図が見えない・・・お気楽に仕事してしてまんな・・・
ひょっとすると、時間がないだけだったのかもしれないけど・・・

ミュージシャンも、アコースティックの音を知らないみたいですねー
小さなライブでも、アコースティック楽器ですらPAをかけています。それも、どうしようもない音で・・・。
このような音の感覚は、生活習慣病のようなものですから、ともかく、ちゃんとした音を聴くようにしてもらいたいものです。特に、仕事でやっている人は、自分への投資なんだから、ちゃんとしなさいよ・・・。ある段階を超えたら、この「扉を開けない」と、道は、無いですよ。
今回の問題が、このラインが主でないことを祈るばかりです。

浜崎あゆみ Connected/ドイツ盤です

リミックスを作らない方針のため選択した

これはちょっと不思議な言い回しですが、浜崎あゆみの音楽は、ここ2年ほど、リミックスが昔ほど作られていません。
その理由は、推測ですが、本人があまり作りたくないのではないかと思います。ですから、リミックス版がドイツのレコード会社から発売されたりしていています。
もともと、浜崎あゆみのリミックスは、うがった見方ではアルバムの収録曲数を増やすためという見方もありました。また、アルバム数も増えますし・・・。私などは、リミックスが面白くて楽しんでいたのですが・・・。そうした反動か、極端にリミックスの数が減っています。
しかし、すでに説明したように、リミックスは目的に応じて、つまり、媒体選択に応じて必要なものでもあります。
ですから、このような認識があり、リミックスの制作が封印されると、必然的に、総花的・・・というか、一番悪い媒体に合わせた音作りをする原因となります。つまり、最低の媒体、携帯電話の「着うた」に合わせた音になる可能性があります。

携帯電話を意識していた

日本ではAppleのiTuneなどがまだサポートされていません。SONYのネットワークショップは、ATRAC3だけで、SONYの機械を買わないとどうしようもない、矮小なマーケットです。
しかし、別な、大きなダウンロード・サービスがあります。
それが、携帯電話の「着うた」です。
ですから、音楽関係者、特にマーケティング担当者としては、新たな収入源としてこれに着目することは必然でしょう。
そして、そうした連中は、必ずこう思います。

「着うたに最適な曲を作れ!」

その結果、史上最低の音楽再生媒体である、携帯電話の「着うた」に合わせた音作りとなります。つまり、「携帯電話mix」の登場です。
そして、それをそのまま市場に出したら・・・「INSPIRE」みたいな音になるでしょうね。
この音であれば、1931年に世界初でベル研究所が行ったステレオ伝送実験でも、なんの問題も無いでしょう。
私は、「INSPIRE」の音を勝手に「Cell phone mix/携帯電話mix」と呼んでいますが、その理由は、この「薄い」音の最適なデバイスは、どう考えても、オーディオ製品ではない・・・ということにあります。
この場合は、背筋が寒いですね。つまり、「INSPIRE」は音楽ではなく、携帯電話のベルなのです・・・その目的は・・・。
余談ですが、話題の「着うた」を待ち受けに使ってる人が、私の周囲にいないのですが・・・(^^;
モバイル音楽機器として、携帯電話を使ってるのでしょうか・・・(^^?
このような判断をしたとしたら・・・音楽をなめんなよ!・・・ということでしょうか。
音楽の大切さという主観を忘れて、なんのための音楽か・・・ということです。
まあ、ちゃんとしたアルバムを出して、別に「Cell phone mix」を出すくらいの良心くらい、思い出してもらいたいものです・・・まだ良心を覚えているならですが・・・
ちなみに、マーケット志向の人間に、音楽を成す者としての良心なんか、きっと、ありはしません。

設備が壊れていた

実は、昔からアルバムって、むちゃくちゃなものがあったりしました。
。アルバムをプレス/製造する際に、位相を逆にしてしまっているものが、昔からあるからです。ですから、ちゃんとしたオーディオ機器は、位相反転機能を持っていました
私が使用しているシステムは、最新なので、左右チャンネルの独立した位相反転が出来ますし、必要であれば、左右で厳密な位相制御が出来ます。
ですから、はじめ、「INSPIRE」の音があんまり変なので、全部試してみました。
でも、変なままでした。
声が良くなったかと思うと、楽音がめちゃくちゃになったりしたのです。
こうしているうちに、気付きました。
場合によっては、音楽を編集している際に、位相管理がめちゃくちゃになってるのかもしれないと・・・
この可能性は、操作ミスでも起きますが(編集機器だけではなく、楽器そのものにも位相切り替えがあります)、いくらなんでも考えにくいとは思います。
もうひとつあるのは、マスタークロックがダウンしているのに編集を強行した場合です。プロ用機は、もともとそれほど精密な出来ではないので(音を編集する場合は、それでもそれほど悪くありません)、共通クロックの提供が乱れると、クロックそのものに、かなりずれがあります。そんな状態で編集すると、位相はガチャガチャになる場合もあるでしょう・・・こんな音になってもおかしくありません。
本当なら、作曲家/編曲家/ミキサーのだれかが気付くべきです。最低、ミキサーは気付きます。でも、作曲家や編曲家はどうでしょうか・・・きっと気付かないと思います。彼らの再生設備は、メロディーや音の雰囲気を理解するのがせいぜいだからです。そしてミキサーが気付いても・・・もはや手遅れで、編集作業だけでは、とても修正は出来ないかも・・・。
でも、簡単に考えるなら・・・プロならそんなことするなよ・・・ですね。
なお、意図的にそうしている場合は、分類として、制作者の主観でこの音を選んだに分類されます。

音決めを組織で行った

この可能性は、よくわかりませんが、書いてみました。
元来、感性というものは、合議制で・・・つまり、客観的に取り扱うことにそぐいません。
日本のオーディオ機器メーカーは、それに気付かず、めちゃくちゃな製品をたくさん作ってしまったりしています・・・というか、今も、そうです。
合議制になると、感性の水準の違いもありますが、avexのような公開されている企業であると、音楽にそれほど造詣がない社員も少なくないはずです。
そうした人たちが音作りに混入したら・・・めちゃくちゃになります。
可能性が無いわけではないと思うのは、avexの仕事の進め方そのものです。
そうかねー・・・と思うことが、結構あるからです。
たとえばCCCDの件でも、株主対策にしか見えないし・・・
経営者は、音楽を見ていない気がします。会長も、トランス屋出身だし・・・(山水はオーディオメーカーというよりも、電柱のトランスで食べていた会社です。オーディオメーカーらしい時代は、今から20年位前まででしょう)
そんな経営者が、グループ内で管理しながら音楽を作っているので、経営者の発想は、いたるところに浸透するかも・・・。
主観と客観は、相容れることは無い・・・こんな簡単な理屈がわからない場合は、困りますね・・・音楽の仕事は出来ないと思います。経営者には、考えてもらう必要がありますね・・・。

組織のため音決めが出来なかった

全然逆ですが、組織があるために、音決めそのものが出来ないということもあるかもしれません。
つまり、責任の所在が不明確で、どうしよくもなくなるという場合です。
こちらの方が、音決めを組織で行ったよりも可能性は高いかもしれません。
どのような組織でも、自身を犠牲にして、努力して、方向を定める人が登場するものです。
それが出来ないのは・・・人材がいないということですね・・・
昔の、日本企業の姿そのものです・・・(^^;

07 音楽は、内から湧き上がるもの・・・音も同じ・・・

これまで説明してきたように、「INSPIRE」の「音が薄い」理由は、なんであっても、困る話題です。
つまり、なんらかの大きな問題が、浜崎あゆみの音楽制作システムに存在しているということを示しています。
本来であれば、「INSPIRE」は、この曲想からして、重厚に作られる必要がありました。

SARHA BRIGHTMAN
harlm 東芝EMI NVD-1091
IT'S A BEAUTIFUL DAYは3曲目です

私は、「INSPIRE」を聞いたときに、なんじゃ・・・この音はと思いながら、音のイメージとして、本当はこんな音がいいんじゃないのかなと・・・思い出したものがあります。
サラ・ブライトマンの「it's A BEAUTIFUL DAY」です。この曲は、重厚な音と、世界平和を願うようなサラの歌が声が重畳する、壮大な曲です。
サラ・ブライトマンは、アメリカのイラク侵攻という最悪のタイミングの時に、アラブ世界をテーマにしたアルバム、haremを出しました。アメリカの多くのアーティストが、国粋主義的な方向に傾倒するアメリカにあって、そのなりを潜めた中、サラはこのアルバムを歌い続けたのでした。そして、世界はサラのアルバムを支持しました。このアルバムは世界的なヒットとなったのです。
浜崎あゆみが「INSPIRE」のビデオクリップで表現した映像・・・それは、世界に旅立つ時期が来たことを知らせるイメージです。
多くの人が誤解しています。日本人は、日本人であるだけではなく、この世界の住人です。世界への扉は、はじめから、世界にはありません。あるのは、自身の中にある、自身をつなぎ止めるくびきを守る扉だけ・・・浜崎あゆみは、その「扉を開ける」時が来たことを知ったのでしょう。
日本人は、すでに、世界中で活躍し、尊敬もされています。
別に、特別なことではありません。
そして、世界で活躍するときに大切なもの・・・それは、自身を信じ、内奥でつながる人々を信じること・・・。
だから、内奥から湧き上がるものを、大切にすること・・・。
そして、それは音楽をすることであり、アルバムを作ることそのものです。
音は、そうした姿勢が貫かれる限り、その音楽にふさわしいものが、自然と選択されるでしょう。
INSPIRE」が、本来の音を得る場所・・・しばらくの間、それはコンサートだけかもしれません。しかし、やがて、アルバムでも、本来の音を持った「INSPIRE」が、きっと登場すると信じて、待ちたいと思います。


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